われわれ現代人は、物質主義だ。
たとえば、世の大人たちに聞いてみよう。「赤ちゃんができる仕組みを教えて」と。100人中100人が、こう答えるだろう。卵子が精子を受精し、受精卵が着床して…云々と。現代人にとって、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるものでもなく、まして、神や仏が授けたものでもないのだ。目に見えるものは容易に信じられる。人類が進化するほどに物質への信用度が上がり、見えないものを排除するようになった。
なのに、一つだけ大きな矛盾がある。「ことば」はどうだろう?
人の口から発せられる「ことば」は、目には見えない。「ことば」は、高さと長さの異なる声(音)が波動となり、空気を揺らして相手の耳へ届く。伝達の仕組みは科学的に解明されているが、見えないことに変わりない。
なのに、目に見えるどんなものより、強く信用されることがある。
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忌み言葉よりも、魂のこもった言葉を…。
日本では、古くから「言霊」という思想があり、言葉には霊力が宿っていて、その人が発する言葉によっては幸せを呼んだり、不幸を呼ぶことさえあるとされている。
しかしなぜだか、4や9が「死」や「苦」と読めることから忌み嫌われることも、結婚式では「出る」や「戻る」などの言葉は避ける…とか、悪い意味をもつ言葉にはことさら敏感である。
万葉集では「倭の国は言霊の幸はう国」と表現し、日本は言葉が人々に幸せを与える国…とされた。言葉は、話し相手にも自分にも、幸を運ぶ。忌み言葉をやたら気にするよりも、幸せと感じる言葉に意識を向けたほうが発展的ではないだろうか。言葉に魂を込め、ひと言ひと言を大切にしてゆきたいものだ。
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